2015年8月22日土曜日

お遍路手記(第4信)

メイです。


お父さん、お母さんのお遍路手記(第四回目)です。

(第4信) 平成27528日 お遍路に行ってきました。

22番札所(平等院)から第27番札所(神峯寺)までと、別格の「鯖大師本坊(さばだいしほんぼう)」の7ケ寺。本来の予定は26番札所(金剛頂寺)までの6ヶ寺でしたが、交通事情も良く、参拝者も慣れて、効率的なお参りが出来、時間が早まり、1ケ寺だけ急遽追加になりました。バスの出発は530で、戻りは2130。 バスのトータル走行距離は運転手2名の交代で約550kmに及びました。
 
 お遍路の始まりは、その昔「お遍路」とは死出の旅で、せめて自分の最期には仏様の御利益をいただきたいとの思いでお遍路の旅に出たということだそうですが、現世でも民の悩みはつきません。

今回で4回目になる私は、当初「納め札」に「家内安全」と記して納め、なんとなく漠然と読経をしていましたが、慣れてくると多少の余裕が出来、今では読経しながら「願い」を祈ることも出来るようになりました。

普段はどうしても煩悩(物欲など)が一番に出てしまうのですが、このような神聖な場所ではそれは全く考えなくなり、「家族・親族の健康」と「新しく誕生する命」について祈ることが多くなりました。

お遍路で大勢で一緒にお経を唱えている時は、現世と彼岸の中庸に居るような気分に浸り、人間本来の性善説的な想いになるのが不思議です。四国の地元の人達は、お遍路さんとそうで無い人との区別を衣装で判断し、お遍路の衣装を着用した人は安心してお接待ができるということを聞きました。
お遍路さんはみんな善人なのです。

 第24番札所(最御崎寺:ほつみさきじ)の近くに、「御厨人窟(みろくど)」という洞窟があります。
ここは弘法大師が19歳の時に修行をした洞窟で、奥行き20メートルほどの洞内から外を眺めると、水平線を境に「空」と「海」だけが広がっており、この景色から名を「空海」に改めたということです。

ここは環境庁の「日本の音風風景百選」に選ばれているそうです。







次回は平成27917日(木)です

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