お遍路に行ってきました。
今回は、第46番札所 医王山養珠院浄瑠璃寺
から
第53番札所 須賀山正智院円明寺 までの8ヶ寺にお詣りしました。
第8回目を数える日帰りお遍路で、初めて朝からの雨でした。 先達のご住職は本日の雨を「仏さまの慈雨」と云われ、これもありがたく受け止めるようにと諭してくださいました。
今回お詣りした8ヶ寺は松山市の南方の平野に建立されている寺院群で、各々の距離が近く、バスで5~15分程度の距離にある寺院でした。ただ、驚くことは、第51番札所の石手寺をはじめ、それぞれのお寺が大きく、立派で、由緒ある大木群がその歴史を鼓舞していました。
46番札所 浄瑠璃寺参道
48番札所 西林寺
51番札所の石手寺には屋根のある長い参道があり、その両側にはお店が並んでいました。
また石手寺の大師堂(本堂の本尊様とは別に、弘法大師を奉っている建物)はとても大きく、参拝者の立つ頭上には大きな天蓋もあるほどでした。
この地域にも、88ヶ寺以外に大小たくさんのお寺があると思われますが、これだけの大きな寺院が密集しているにも関わらず、多くの寺院に信者が集い、繁栄し続けているのは、この地域の人々の熱い宗教心の賜物と思われます。私も慈雨の中、「家内安全」「身体健全」そして「・・・」「・・・」など、各寺院で欲張ってお願いをしてまいりました。
46番札所 浄瑠璃寺
各寺院には、多くのお供え物がお供えしてあります。
第53番札所の浄瑠璃寺には、大師堂の隣に高さ40センチほどの「キリシタン石塔」といわれている灯籠があり、キリシタン禁制の当時、この地方にはキリスト教の信者がたくさんいて、このお寺が隠れ信者の礼拝を黙認していたと伝えられているそうです。
豊臣秀吉が1587年に「バテレン(伴天連)追放令」を出したのが禁制の初めで、江戸幕府は1612年に禁教令を出していますが、「浄瑠璃寺」はこれを黙認し、許したという慈悲深い話に、庶民に引き継がれた日本人のDNAを感じました。
本日のバスのコースは行きは「瀬戸大橋」、帰りは松山市から「しまなみ海道」経由でした。
20年前に海道途中にある生口島の「平山郁夫美術館」を訪れ、幻想的な日本絵画を眺めたことを昨日のように思い出しました。
次回は9月の予定です。
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