2015年7月30日木曜日

真備東中学校 野球部 夏の陣

メイです。

今朝の新聞で、今日は「第66回岡山県中学校軟式野球大会」の準決勝・決勝の日であることを知り、偶然にも夏休みを取っていたお父さんが急遽母校の応援に出かけました。

お父さんの母校である真備東中学校(旧校名:黄薇中学校)は今回ノーシードながら、24年ぶりにベスト4に勝ち進み、対戦相手は岡山市立吉備中学校。マスカットスタジアムでの熱戦の結果、勝利!、決勝戦に勝ち進みました。



そして、午後からの決勝戦は、準決勝で倉敷市立西中学校を下した岡山市立高松中学校と対戦です。準決勝と同じく投手戦の結果、なんと優勝してしまいました。24年ぶりの優勝です。


 


エースの井本君を含めて、岡田野球スポーツ少年団を卒団した生徒が5人もレギュラー入りしており、元監督の叔父も大喜びでした。おめでとうございます。(^O^)/


2015年7月27日月曜日

お遍路手記(第三信)

メイです。

お父さん、お母さんのお遍路手記(第三回目)です。

(第3信) 平成27326日 お遍路に行ってきました。
3回目は、17 瑠璃山 井戸寺から21 舎心山 太龍寺までの5ケ寺でした。遠くなるにつれ、日帰りで巡る寺院が少なくなります。とても良い天気に恵まれましたが、山中にある寺院は空気も肌寒く感じられました。徳島の市街地にある「さくら」も一部の枝が開花していましたが、まだつぼみの状態です。でも阿波の国は流石に南国で、もう田植用に水が引かれている水田もありました。

観光バスで巡っていますが、観光は一切しないためガイドさんは居ません。添乗員さんは、巡礼者40名分の「納経帳」・「掛け軸」あるいは「白衣」を大きなカバンに詰め込み、各札所に着くと大急ぎで寺院の坂道・階段を駆け上がり、とにかく他の巡礼バスよりも早く「ご朱印」を印してもらえるように社務所へ急ぎます。ご朱印は僧呂の手書きのため時間がかかります。巡回予定は分刻みに決まっていて、参拝者がその寺院(本堂と太子堂の2カ所)で読経を終わるまでに「ご朱印」をいただきバスに戻らないと、予定が消化出来なくなるからです。もちろんお昼食も移動中のバス内でお弁当です。巡礼に付き添う添乗員の方々はとてもタフな経験者です。

 移動中の車内では、添乗員から各寺院の由来などの説明のほかに、お遍路の(せん)(だつ)をしてくださる私達の住職の講話もあります。私達庶民は、日々忙しく仕事に振り回されており、「お寺」というとお葬式や法事のことだけが一番に頭に浮かんできます。それはお寺さんにとってはとても大切なお役目ですが、先達のいろんな講話を通して、お寺を守っている住職には他にもっと大切な「日々の精進・修行」があることに気付かされます。ミクロ的なことでは、檀家の「ご先祖供養」や「無病息災」を願う朝夕のお勤めなど、マクロ的には世界平和を願うなど、多くのことに目を向けていらっしゃいます。このようなことは、当たり前のことですが、お遍路というものに初めて寄り添ってみて、より深く知る(感じる)ことが出来ます。 
本日参拝した5寺院の中で、第20番の霊鷲山 鶴林寺は昔は相当な辺地(へんぢ)(難所)で、とても近寄り難いお寺であったようですが、今は100人乗りロープウェイで約10分で登れます。

        中型バス2台分ぐらいのサイズです       

那賀川の川面から100m上空を通ります

那賀川を越え、さらに山一つを越えた山の頂上付近に鶴林寺が立っていました。上空から眺めると乗用車がやっと通れそうな古道を見ることができますが、難所であったことは確実です。 


弘法大師は生涯に於いて3つの名前と死後の一つの名前を出世名として得ました。西暦774年に讃岐で生まれ、幼少・青年時代は「真魚(まお)」と名付けられていました。22歳の時、自分で僧名を「空海」と改め、「遍照金剛」の名前は、唐の恵果(けいか)和尚から灌頂(かんじょう)(頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結ぶこと)を受け、密教宗教最後の後継者の阿闍(あじゃ)()となり遍照金剛という名与えられました。「弘法大師」という名前は、空海入定86 年後921年に、醍醐天皇から与えられたものです。ですから空海本人は「弘法大師」という僧名を知りません。

次回第4回目は徳島県最後の2ケ寺巡り(22番目白水山平等寺と23 医王山薬王寺で、528日(木)です。

2015年7月20日月曜日

今日のお花(ズッキーニ)

メイです。

今日のお花は「ズッキーニ」です。
ズッキーニとは「ウリ科カボチャ属の一年生の果菜。果実の外見はキュウリに似るが、カボチャ(ペポカボチャ)の仲間。主に緑果種と黄果種がある。旬は夏。果実と花が食材として用いられる」という解説を見つけました。

なので、カボチャの花によく似ています。(つぼみでよくわかりませんが・・・)

左2本のズッキーニの実は長さ20cmほどです。
右側の株は、成長した実を採った跡です。

この野菜、幹と葉の勢いがものすごいです。





2015年7月16日木曜日

小鳥

メイです。

お父さんは、朝の私との散歩の後、ほとんど毎日小鳥のためにエサを撒きます。

エサは稲の収穫の際に発生する小米(コゴメ)です。

毎朝、スズメや山鳩そしてセキレイなど、たくさんの小鳥が小米をついばみに訪れます。

にぎやかな食卓です。 




一合くらいの小米は、15分くらいで無くなります。

そして、また明日喜んで、競ってやってきます。 可愛い小鳥たちです。


小米(コゴメ):
乾燥後のモミ摺り工程が終わると、モミは米になります。
生まれたばかりの米は、次に米選機(ベイセンキ)の上を流れ落ちて、
大きな粒だけが最後に残ります。小さな米は強く張ってあるピアノ線の隙間から
下に落ちてしまう。 最後までピアノ線の隙間から落ちないでいた大きな粒の
米だけが、通常<玄米>として食されることになります。



2015年7月15日水曜日

台風上陸の前夜(夕焼け)

メイです。

夕方の散歩で、お父さんが撮った夕焼けです。

明日17日夜、台風が上陸するというのに、今は西の空も晴れていますが、

何か雲が変です。


静かな空に荒々しい夕焼け

2015年7月14日火曜日

今日のお花(パイナップルリリー)

メイです。

ご近所からパイナップルリリーという珍しい花をいただきました。


花だけ見ると、ランの花かと思いました・・・・が、ユリ科のようです。
この花、見聞きしたのは初めてです。

2015年7月12日日曜日

「スズメ蜂の巣」退治事件

メイです。

昨日、お父さんが畑の草刈りをしていて(草刈り機で)、スズメ蜂の巣を発見。

5~6日前、近所の方で、毎朝7時頃に畑作業に出向いている人が、スズメ蜂に顔と頭を刺され、意識不明で倒れていたところを、近くの人が発見し、救急車で。
なんとか命は救われました。

その話を聞き、注意して草刈りをしていましたが、危うくスズメ蜂の巣をノコギリ刃で叩き落とす寸前で発見。 作業を中止しました。

ソフトボール大の小さい巣でしたが、今日、さっそく退治することに。

近所の方にアドバイスを伺い、準備をしました。

スズメ蜂専用スプレー
皮製の作業用手袋
防護用メガネ
防虫ネット付き帽子

雨合羽を2重に着込んで、長靴を履き、皮製の手袋に保護メガネ、そして防虫ネットのついた帽子を着込んで、いざ出陣!
3メートルの特注網とスズメ蜂専用のスプレーを携帯して、現場へ。

ご近所の方からは、「昼間はスズメ蜂が全員帰還していないので、全部の蜂が帰還している夜に作業するように言われましたが、夜はヘビなど足元が危ないので、明るい夕方に決行することにしました。
(スズメ蜂専用スプレーにも、作業は蜂が寝静まった夜にするよう推奨しています。)

気温30度ちかい中、雨合羽を2枚着込んだ状況で、すぐに中は汗びっしょりです。
長い網と専用スプレーを抱えて、出発。万が一の事を考えて、通報版として家内を引き連れて!!

長さ3mの特注網(近所の方の手作りです)
手元のレバーを引くと先のネットが萎みます。

虫取り網よりもう一回り大きいネット
手元のレバーを引くと、網が萎みます。

現場は夕暮れで、竹藪にかこまれ鬱蒼としていました。
蜂の巣を確認。昨日はメロン大の大きさに見えた巣も、しっかり見るとソフトボール大のかなり小さいものでした。蜂が飛んでいないことを確認しましたが、巣の下方にある出入り口には蜂の頭がのぞいています。借りた網をゆっくり伸ばし、巣との距離をとって、「蜂の巣」をどのように網にいれるか検討すること約1分。イメージトレーニングを済ませて、すみやかに撤去の開始です。

網を「巣」の下からそぉ~っとあてがい、一気にレバーをひいて網を締めました。網に入った巣から蜂が数匹飛び出てきました。また蜂の巣の周辺に潜んでいた蜂も飛び始めました。
持参した「スズメ蜂専用スプレー」をあっちこっちに振りまきながら、網の外を飛び交うスズメ蜂と交戦。でも「スプレー」の威力は大したものです。蜂が次々に落ちていきます。

この間約30秒。 スプレーも無くなり、蜂も飛ばなくなったので、その後はゆっくりと後処理を行い、完了です。
不思議なことに網の中にスズメ蜂の死骸は一匹もいませんでした。まわりに全部落ちたのかどうかは不明です。


巣はまだ小さく、中はまだ一段だけでした。
しばらくすると蜂の巣がまた新しくできるかもしれませんが、
できるだけ小さい時に見つけて対処することが一番ですね。
お父さんの歳にして、スズメ蜂の巣を退治するのは初めての体験でした。

2015年7月8日水曜日

今日のお花(ゼラニウム)

メイです。

今日も、お母さんの好きな花を紹介します。


ゼラニウムです。
この時期、今もながぁ~く咲き乱れています。

イタリアでは、家の周辺をゼラニウムで飾っているお家がたくさんあります。(URL:↓)

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2+%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%83%A0&hl=ja&biw=1151&bih=871&site=webhp&tbm=isch&imgil=BLT09MD-22zq0M%253A%253B8dkanDCF0y8J7M%253Bhttp%25253A%25252F%25252Ffibota.exblog.jp%25252F20516123&source=iu&pf=m&fir=BLT09MD-22zq0M%253A%252C8dkanDCF0y8J7M%252C_&dpr=1&usg=__rrNbvY2r_DIUDanqlPhdNT_DZNg%3D&ved=0CCYQyjc&ei=hiadVaSEIovz8gXT07zoCA#imgrc=BLT09MD-22zq0M%3A&usg=__rrNbvY2r_DIUDanqlPhdNT_DZNg%3D

2015年7月7日火曜日

お遍路手記(第二信)


メイです。

お父さん、お母さんのお遍路手記(第二回目)です。

(第2信) 平成261110日 お遍路に行ってきました。
第二回目は徳島県の10番札所「得度山灌頂院切幡寺」から16番札所「光耀山千手院観音寺」までの7ケ寺でした。せっかくの体験なので、今回からは『真剣に・真面目に・厳かに』を目指しましたが、この付近は寺と寺との距離が近く、バスの乗降と駐車場から寺院の山門までの「歩き」、そして各寺院での作法「山門一礼・手洗い・ローソク&お線香のお供え・納め札&お賽銭のお供え」そして「読経」の繰り返しばかりで、残念ながらゆっくりと思想を巡らせ、建物や境内を見学する時間はありませんでした。ただ、お遍路の形は平安時代から始まり、江戸時代初期に四国遍路という言葉と概念が成立したといわれており、今までにどれだけ多くの庶民がお遍路修行を試みたのかを思うと、とても身近に、また奥深く感じられ、皆同じ思い(願い)をしながら読経をしたのだろうと思わざるをえませんでした。私の両親も(健在ですが)また同じ思いであったろうと想像をたくましくしました。お遍路と長く向き合う方法は、「肩ひじを張らず、思うままに作法をすすめ、そしてお経を唱えること」につきると感じました。

こんなに高いところにも札所があります

  
老若男女、姿もいろいろです 

  88ケ寺は住宅街にも散在し、近くに駐車場が無い寺は、山門までかなり歩く為、7ケ寺巡り終了後の1日の歩数計は12,100歩にもなっていまし た。少々疲れを残しております。(笑)
次回は326日(木)です。忙しい年度末、行けるでしょうか?
「歩き遍路」はコースにより1,400kmもあり、一日も休まずに遍路を続けるには、「体力」と「時間的な余裕」が無いとなかなか難しいことです。 また、健康寿命のあるうちに完了するようにスタートしなければなりません。現役で仕事をしている人などは、一年で季節の良い「春」や「秋」に計画的に数日間の休暇をとり、これを数年間繰り返して続きを歩き、完遂するようです。また、一日に平均20km以上を歩くことから、事前に20kmを歩いてみて、自分の体力の消耗度を確認したり、宿の手配や雨具など、最低限の持物の準備を用意周到にしなくてはいけません。 最近は「お遍路ブログ」がたくさんあり、始めようと思っている人にはとても参考になるようです。また、読んでも楽しいものです。

あるご夫婦は季節の良い31日~419日を歩きつづけ、48日間で88か所を巡りました。
旅行期間歩行数総計2,002,320歩・旅行期間総歩行距離 1,297.7㎞ でした。 
お遍路を完結することを「結願」と言うそうですが、変わり種では「新婚旅行で2人で巡った人」「夏休みを利用して巡った大学生」など、若い人達のブログは面白いです。

2015年7月6日月曜日

今日のお花(ピエールドゥロンサール)

メイです。

お母さんが好きなお花を写した中から、ひとつ紹介いたします。


これはピエールドゥロンサールというバラで、お母さんが好きなバラの花の一つです。