2015年12月30日水曜日

お餅つき

メイです。

今年も恒例のお餅つきの日でした。
4世代で総勢16人が揃いました。

自作の餅米をふんだんに使って、昔ながらの杵と臼で交代でお餅をつきました。
100年以上続いている行事です。


我が家では丸餅にします。
つきたては柔らかいので少し乾燥させ、その後「もろぶた」にいれます。 
これでお正月の「お雑煮」も準備OKです。

2015年12月24日木曜日

生姜の砂糖菓子

メイです。

お母さんが「生姜」の”砂糖菓子”をつくりました。

お爺さんが育てた生姜が大きく成長し、たくさん採れ、長期間の保存も難しいので
お母さんが”砂糖菓子”作りに挑戦しました。


生姜の辛さを少しおさえた、とても美味しいものが出来上がりました。


大型のバットに3枚も作りましたよ。
お正月ころには、味がさらになじんでいると思います。


2015年12月19日土曜日

クリスマス・リース

メイです。

今年のお母さんのクリスマスリースです。


今回のベースの材料はお寺さんのご提供でした。
最終の材料と仕上げは家でやりましたよ。



2015年12月5日土曜日

季節はずれの露地いちご

メイです。

8月に、ランナーから分離して育てた「いちご」の苗を、11月に畑に植えて来春の生育を待っていたところ、気温が温かいためか、いちごに花が咲き、いくつか実ってしまいました。こんなことは初めてです。

 
毎年この時期に、間違えて花は咲くことはあっても、実ることはありません。
でも、今年は少しだけですが、実ってしまいました。
来春の実りに期待です。(品種:蜜香)

右側にあるのはブラックベリーです。
これも、時季外れで実がついてしまいました。

2015年11月15日日曜日

お遍路手記(第6信)


メイです。



お父さんとお母さんお遍路に出かけました。



  (第6 信) 平成2711 5日(木) お遍路に行ってきました。



今回は37番札所「岩本寺」から40番札所「観自在寺」の4ヶ寺で、四万十川から四国南端の足摺岬、そして愛媛県に向かって少し北上したところにあるお寺を巡りました。

今回は岡山からもっとも遠距離にある札所で、530出発、2200着のバス強行軍でした。



37番札所の岩本寺から38番札所の金剛福寺までの距離は94km、そして次の39番札所の延光寺までは74kmもあり、88ヶ所の中でも最も距離の離れている札所です。私達のグループは団体バスによる移動ですが、その間にも多くの「歩きお遍路の方々」をお見かけしました。



今日の足摺岬付近は雨模様で、雨に打たれながら歩いている人(そして人群)を見かけました。お遍路さんは白衣を身に着けていらっしゃるので、すぐわかります。おまけに「大きなリュック」が背中に。



お遍路さんの発心理由は人それぞれですが、「歩きお遍路」さんにとっての一日の歩行距離はせいぜい20~40kmです。そのため札所間が100km近くにもなると、2~3日かけて次のお寺にやっと辿り着く状況です。そのような過酷な姿を見かけると、やはり何か手を差し伸べたくなるのが「人の心」ではないでしょうか。バスでお遍路をしている私でも、そのような衝動にかられます。おそらく、このようなお遍路さんを気遣う気持ちが「お接待」につながったのではないかと思ってしまいます。

 
 38番 金剛福寺 本堂の裏にある仏像群

 38番 金剛福寺に残る700年前の九輪

 38番札所 金剛福寺の本堂

40番札所 観自在寺の境内にある仏像群

今回はバスでの移動距離が長いこともあり、参拝者の最年長の方が「四国八十八ヶ所」のDVD映像を持ち込んで見せてくれました。もう40ケ寺を巡礼してきたましたが、その映像を見ても既にお参りした札所のイメージがほとんど湧いてきません。由緒ある各寺院の様子を覚えていないのです。
札所がかなり辺地(辺境)にあるとか、境内の様子が他の札所とは少し違う等の特徴があれば覚えていますが、ほとんどを忘れています。
ところが、もう何回も札所巡りをしていらっしゃる年配の方はよく覚えていらっしゃいます。
まだまだ私にはお参りする寺院の風景を感じる余裕が無いようです。

次回は極寒の冬を過ぎて平成28328日です。 

2015年10月25日日曜日

観月会

メイです。

10月25日(日)19:00、お寺で恒例の「秋の観月会」が催されました。
境内は住職自らのライトアップがされ、とても幻想的でした。





当日は、お母さんが参加者へのお茶の接待でお手伝い。

また、檀家による書道・絵画・ワーククラフト・手芸などの展示が部屋ごとにあり、お母さん・お婆さん・お爺さんがそれぞれ出展しました。

左端:お婆さん作の「帯」

中央の「山寺」がお爺さんの作詞 (純子書)


また、例年の演奏会もありました(今年は弦楽四重奏)。
曲は、普段よく耳にするクラシック曲からポピュラーソング、そして唱歌まで、幅の広い選曲で楽しませてくれました。



2015年10月22日木曜日

お遍路手記(第5信)


メイです。

お父さんとお母さんお遍路に出かけました。

(第5信) 平成27917日(木) お遍路に行ってきました。 

 今回は28番札所「大日寺」から36番札所「青龍寺」までお参りしてきました。
「青龍寺」は大横綱である朝青龍 明徳(四股(しこ)名)が高知市内にある明徳義塾高校の相撲部時代に、このお寺の階段で稽古をした場所で、四股名に「龍」の文字が一文字入っているのはこのためだそうです。

 今回も大型バスからタクシーに乗り換え、険しい山道を登って行くお寺が2ケ寺もありました。タクシーの無い時代の人たちはこの長くて険しい山道を歩いて参拝したようです。今回も徒歩で巡礼しているお遍路の方に数名出会いました。とても日焼けされて、たくましい方々でした。「どうぞ気を付けて頑張ってください」と心の中で祈らずにはいられませんでした。このような人たちは「88ヶ寺」と「四国の方々」が全員で守ってくださっているように感じました。 

お遍路を共にしている参拝者は、記念写真を撮っている人はとても少ないようです。回数を重ねるうちに、その理由が分かって来ました。今回も高知市周辺の9ケ寺を巡り、到着後みんなが秩序良くお寺に向かい、山門を通った後、手水鉢で手を清めます。そして、灯明し、お線香を立て、納札(写経なども)を所定の箱に納めます。そして、最後にお賽銭をお供えし、祈願をします。そして全員が揃った後に、先達とともに読経(おかんき「御看経」)を唱えます。本堂と大師堂でこれを繰り返すことになります。

一カ寺で相当な時間(約30分)を費やすものですから、状況としては写真など撮っている場合ではないのです。「写真など撮らないで、早く参拝を進めてください」と周りから言われているような気分もします。しかし、私の両親もお遍路を経験していて、その時の数少ない写真が本当にいい思い出になっています。私も最初は観光気分があったかもしれませんが、次第に慣れてきて、写真などどうでもよくなってしまいました。でも、心を打たれる「建物」「風景」はこれからも写真に残しておきたいと思います。
次回は11月5日(木)です。
29番札所「国分寺」 

31番札所「竹林寺」の参道(もみじのトンネル)

竹林寺にある石仏  

32番札所「禅師峰寺」から見下ろす太平洋

2015年10月11日日曜日

お祭り

メイです。

10月の第二土曜・日曜は秋のお祭りです。
東薗神社で恒例の神楽奉納が夜遅くまで行われました。

郷土芸能とはいえ、ライブは迫力があっていいね!












2015年9月21日月曜日

なた豆茶

メイです。

春に植えた「なた豆」を収穫しました。
収穫するには少し青くて、まだ早いかもしれませんが、お茶にするには十分すぎるくらい大きくなりました。


なた豆が成長すると、さや(莢)の長さが約30センチ、豆1個の横長サイズは3~4センチにもなります。
とても大きな豆ですが、お茶にして飲用すると効能があると昔から云われ、「漢方生薬」として重宝されてきたようです。

なた豆茶」にするため、今日から豆を乾燥させています。乾燥後に粉砕して、お茶パックに入れて煎じます。

カエル姫

メイです。

バラの花にアマガエルがいました。

こんな高いところにどうやって登ってきたの?
居心地は?
見はらしは?
ごはんはいつ食べる?

童話「おやゆび姫」を思い出します。




2015年9月8日火曜日

ごはん(20150908D)

メイです。

今日の夕ご飯です。
卒寿を迎えた爺ちゃんが育てた「山の幸」づくしです。


オクラ、ナスのバター焼き、インゲン豆の味噌ゴマあえ、塩サバの焼き物
切り干し大根と大豆の煮もの(他に、しいたけ・人参・豚肉を入れてます)。

ごはんがすすみます。 

2015年9月6日日曜日

卒寿

メイです。

9月5日はお爺さんの誕生日でした。
今年で「卒寿」をむかえました。 90歳です(^O^)/

お母さんがケーキを作り、お爺さんの大好きな鰆(さわら)のお刺身と握り寿司でささやかにお祝いしました。
お爺さんは梨(特に二十世紀)が大好きなので、ケーキのトッピングは「二十世紀梨」、中にはバナナが敷き詰めてある美味しいいケーキでした。



普段、何かと口うるさい領主ですが、たくさんの経験をし、なんでも知っている頼りになる主(あるじ)です。
いつまでも健康で隣にいてほしいものです。


総務省統計局によると平成27年8月1日現在(概算値)の総人口は,1億2689万人
2005年の国政調査では90歳以上の人口は、男性255,772人・女性 821,672人・合計1,077,394人で日本総人口の0.84%(総人口127,767,994人:2005年)で、貴重な存在です。

ちなみに、お爺さんの生まれた年大正14年(1925年)には次のような出来事があったそうです。
政治
 01.20 日ソ国交樹立
 04.22 治安維持法公布  05.12 施行
 05.05 普通選挙法公布  25歳以上の男子に選挙権を付与

経済
 物価: ラジオ受信機 鉱石式10円 真空管式120円 炭(1俵)1円45銭

社会
 ダンス大流行 東京府内のダンスホール急増
 不景気のため大学中退が増加
 自動電話、「公衆電話」に改称
 大阪白木屋で、日本初のネオン設置
 パン屋の食堂(北極星)にオムライス登場
 新橋演舞場開場

03.21 群馬県佐野村(高崎市)の馬場源八郎、初めて複葉グライダーを製作し、飛行に成功
05.23 北但馬地震(M6.8) 428人死亡・行方不明
09.27 地下鉄銀座線(日本初の地下鉄)起工式
11.01 山手線、環状運転開始
11.13 東京帝国大学地震研究所(東京大学地震研究所)創立
12.15 東京乗合自動車、ユーランバス(日本初の定期観光バス)の走行を開始

スポーツ
 09.20 東京六大学野球始まる  10.19 早慶戦、20年ぶりに復活
 12.28 大日本相撲協会設立

国際
 01.03 伊で、ムッソリーニ、独裁宣言
 07.01 広東国民政府樹立
 11.09 独で、ナチス、親衛隊を創設
 11.13 英の考古学者・ハワード・カーター(Howard Carter)、ツタンカーメンの棺を開封
 

2015年9月1日火曜日

野鳥の巣(2)

メイです。

お父さんが、仕事の帰宅後(もう太陽はほとんど山裾に沈みかけていたのですが)、8月22日に見つけた「野鳥の巣」のことが気がかりで、ついにその後を観察に出かけました。

田んぼの中を歩くと、もう夜露が稲葉におりて、ズボンが濡れます。
あれから10日が過ぎ、稲の背丈も更に10cmくらい高く伸びていて、大体の場所はわかっていても「巣」を見つけるのが大変でした。巣のまわりの稲葉も伸びていて、上から見ただけでは場所がわからなくなっていました。

近くに寄ると、(親鳥だと思うけど)巣から2~3m離れた田んぼの中から、鳥の移動するかすかな音が聞こえ、「クゥー」と鳴きました。 稲株の間を移動する音と、鳴き声から推測すると、思っていた鳥とは違うかもしれないと思いました。もっと小さいかも!

巣を見つけ、そぉ~っと覗いてみました。


なんと、7個のうち、2個が孵化していました(バンザーイ! オメデトウゴザイマス!!)
今日は雨が降ったので、そのために羽毛が濡れているのかどうかわかりませんが、
相当濡れています。それとも孵化したばかりでしょうか。

親鳥らしきモノがまた別の場所で「クゥー」と鳴いたので、これ以上居ると、恐れて「育児放棄」をするかもしれないと思い、シャッターを2回押して、静かに去りました。

もう、見に行かないほうが良いと思いました。
7個とも孵化して、大きく育ってほしいものです。
場所は誰にも教えていません。



2015年8月23日日曜日

ケーキセット

メイです。

お父さんが久しぶりに買い物に。
お父さんのウォーキングシューズを求めて、お母さんと一緒にイオンへ。

その帰途、お母さんの提案で、お母さんの運転で、総社市の洋食屋さん「アンリビュータン」へ癒しを求めに!


なんとこのセットで¥500です。
おかあさんがクーポンを持っていて、今月末までの限定価格。
そして、清算時にクーポンを返却してくれ、「今月末まで使えますから、また来てください」といわれました。

  飲み物
  シフォンケーキ
  チーズケーキ
  アップルパイケーキ
  アイスクリーム
  果物少々

この店は「桃太郎ハンバーグ」という1.5kgもあるハンバーグも有名です。

2015年8月22日土曜日

野鳥の巣

メイです。

今日、お父さんが田んぼの管理をしている時、田んぼの中の一部に異変を見つけました。



なんか作為的なものを感じ、近くに行き、真上から眺めてみました。



まだ、よくわかりませんが、「稲の葉」が中ほどの高さから折られて倒れていました。

それを、ゆっくりと取り除いてみると、なんと野鳥の巣に卵が七個!(^O^)/

大きさはウズラの卵とニワトリの卵の中間程度のサイズです。 


どの野鳥の巣か、はっきりと判りませんが、いままでの経緯からすると、その鳥は「ケリ」という足の長い30cm程度の野鳥と思われます。
この鳥は、この地域では30~40年前までは生息していなかった鳥です。
最近は多く見かけられ、時々攻撃するかのように急降下をして、キッキッキーとけたたましい鳴き声で威嚇します。

こんな稲株を利用して、巣を作るんですね!!


お遍路手記(第4信)

メイです。


お父さん、お母さんのお遍路手記(第四回目)です。

(第4信) 平成27528日 お遍路に行ってきました。

22番札所(平等院)から第27番札所(神峯寺)までと、別格の「鯖大師本坊(さばだいしほんぼう)」の7ケ寺。本来の予定は26番札所(金剛頂寺)までの6ヶ寺でしたが、交通事情も良く、参拝者も慣れて、効率的なお参りが出来、時間が早まり、1ケ寺だけ急遽追加になりました。バスの出発は530で、戻りは2130。 バスのトータル走行距離は運転手2名の交代で約550kmに及びました。
 
 お遍路の始まりは、その昔「お遍路」とは死出の旅で、せめて自分の最期には仏様の御利益をいただきたいとの思いでお遍路の旅に出たということだそうですが、現世でも民の悩みはつきません。

今回で4回目になる私は、当初「納め札」に「家内安全」と記して納め、なんとなく漠然と読経をしていましたが、慣れてくると多少の余裕が出来、今では読経しながら「願い」を祈ることも出来るようになりました。

普段はどうしても煩悩(物欲など)が一番に出てしまうのですが、このような神聖な場所ではそれは全く考えなくなり、「家族・親族の健康」と「新しく誕生する命」について祈ることが多くなりました。

お遍路で大勢で一緒にお経を唱えている時は、現世と彼岸の中庸に居るような気分に浸り、人間本来の性善説的な想いになるのが不思議です。四国の地元の人達は、お遍路さんとそうで無い人との区別を衣装で判断し、お遍路の衣装を着用した人は安心してお接待ができるということを聞きました。
お遍路さんはみんな善人なのです。

 第24番札所(最御崎寺:ほつみさきじ)の近くに、「御厨人窟(みろくど)」という洞窟があります。
ここは弘法大師が19歳の時に修行をした洞窟で、奥行き20メートルほどの洞内から外を眺めると、水平線を境に「空」と「海」だけが広がっており、この景色から名を「空海」に改めたということです。

ここは環境庁の「日本の音風風景百選」に選ばれているそうです。







次回は平成27917日(木)です

2015年8月17日月曜日

ミニトマトの棚づくり

メイです。

今年もお父さんがミニトマトの棚を作り、赤い実がぶら下がっています。

網はホームセンターで販売している鉄筋用のものです。

鉄筋用の網を周囲から「支え棒(支柱)」で支えています。

今年の品種は昨年同様に「ペペ」。そして「プリンセス・ロゼ」も追加して、2本を育てました。
見た目はプリンセスロゼがきれいですが、ペペの方が甘いようです。

#ミニトマト# #棚造り# 
#棚づくり# #ミニトマトの棚つくり#


2015年7月30日木曜日

真備東中学校 野球部 夏の陣

メイです。

今朝の新聞で、今日は「第66回岡山県中学校軟式野球大会」の準決勝・決勝の日であることを知り、偶然にも夏休みを取っていたお父さんが急遽母校の応援に出かけました。

お父さんの母校である真備東中学校(旧校名:黄薇中学校)は今回ノーシードながら、24年ぶりにベスト4に勝ち進み、対戦相手は岡山市立吉備中学校。マスカットスタジアムでの熱戦の結果、勝利!、決勝戦に勝ち進みました。



そして、午後からの決勝戦は、準決勝で倉敷市立西中学校を下した岡山市立高松中学校と対戦です。準決勝と同じく投手戦の結果、なんと優勝してしまいました。24年ぶりの優勝です。


 


エースの井本君を含めて、岡田野球スポーツ少年団を卒団した生徒が5人もレギュラー入りしており、元監督の叔父も大喜びでした。おめでとうございます。(^O^)/


2015年7月27日月曜日

お遍路手記(第三信)

メイです。

お父さん、お母さんのお遍路手記(第三回目)です。

(第3信) 平成27326日 お遍路に行ってきました。
3回目は、17 瑠璃山 井戸寺から21 舎心山 太龍寺までの5ケ寺でした。遠くなるにつれ、日帰りで巡る寺院が少なくなります。とても良い天気に恵まれましたが、山中にある寺院は空気も肌寒く感じられました。徳島の市街地にある「さくら」も一部の枝が開花していましたが、まだつぼみの状態です。でも阿波の国は流石に南国で、もう田植用に水が引かれている水田もありました。

観光バスで巡っていますが、観光は一切しないためガイドさんは居ません。添乗員さんは、巡礼者40名分の「納経帳」・「掛け軸」あるいは「白衣」を大きなカバンに詰め込み、各札所に着くと大急ぎで寺院の坂道・階段を駆け上がり、とにかく他の巡礼バスよりも早く「ご朱印」を印してもらえるように社務所へ急ぎます。ご朱印は僧呂の手書きのため時間がかかります。巡回予定は分刻みに決まっていて、参拝者がその寺院(本堂と太子堂の2カ所)で読経を終わるまでに「ご朱印」をいただきバスに戻らないと、予定が消化出来なくなるからです。もちろんお昼食も移動中のバス内でお弁当です。巡礼に付き添う添乗員の方々はとてもタフな経験者です。

 移動中の車内では、添乗員から各寺院の由来などの説明のほかに、お遍路の(せん)(だつ)をしてくださる私達の住職の講話もあります。私達庶民は、日々忙しく仕事に振り回されており、「お寺」というとお葬式や法事のことだけが一番に頭に浮かんできます。それはお寺さんにとってはとても大切なお役目ですが、先達のいろんな講話を通して、お寺を守っている住職には他にもっと大切な「日々の精進・修行」があることに気付かされます。ミクロ的なことでは、檀家の「ご先祖供養」や「無病息災」を願う朝夕のお勤めなど、マクロ的には世界平和を願うなど、多くのことに目を向けていらっしゃいます。このようなことは、当たり前のことですが、お遍路というものに初めて寄り添ってみて、より深く知る(感じる)ことが出来ます。 
本日参拝した5寺院の中で、第20番の霊鷲山 鶴林寺は昔は相当な辺地(へんぢ)(難所)で、とても近寄り難いお寺であったようですが、今は100人乗りロープウェイで約10分で登れます。

        中型バス2台分ぐらいのサイズです       

那賀川の川面から100m上空を通ります

那賀川を越え、さらに山一つを越えた山の頂上付近に鶴林寺が立っていました。上空から眺めると乗用車がやっと通れそうな古道を見ることができますが、難所であったことは確実です。 


弘法大師は生涯に於いて3つの名前と死後の一つの名前を出世名として得ました。西暦774年に讃岐で生まれ、幼少・青年時代は「真魚(まお)」と名付けられていました。22歳の時、自分で僧名を「空海」と改め、「遍照金剛」の名前は、唐の恵果(けいか)和尚から灌頂(かんじょう)(頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結ぶこと)を受け、密教宗教最後の後継者の阿闍(あじゃ)()となり遍照金剛という名与えられました。「弘法大師」という名前は、空海入定86 年後921年に、醍醐天皇から与えられたものです。ですから空海本人は「弘法大師」という僧名を知りません。

次回第4回目は徳島県最後の2ケ寺巡り(22番目白水山平等寺と23 医王山薬王寺で、528日(木)です。